75歳で引退したオートレーサー・谷口武彦選手から学ぶこと

2017年の現役最年長選手だった谷口武彦選手。引退したのは75歳のときでした。オートレーサーの選手寿命がいくら長いとはいっても、通算51年間もオートレーサーとして第一線で活躍し続けられる方はそう多くないでしょう。

谷口武彦選手(4期)について

1966年に選手となり、4期としてデビュー。それ以降は引退までの51年間、ずっと競走車に乗って走り続けてきた選手です。

最高時速150kmに達するオートレースは、公営競技の中でも死傷者が多く、死と隣合わせの危険なスポーツです。谷口選手は、孫くらいの年齢差があるレーサーたちとしのぎを削って戦い続けてきたのです。

70代ならそろそろアクセルとブレーキを踏み間違える頃合いで、自動車免許を返納を考えてもおかしくありません。でも、ひとたびオートレース場に入るとサドルにもみじマークをつけたおじいちゃんが猛スピードでバイクを飛ばしているわけで、本当にパワフルな選手でした。

最後のレースを走った後、谷口選手は「オートレース人生に悔いはない」と言い残して引退しました。

谷口選手の座右の銘は「無事これ名馬」。菊池寛による言葉で、能力が劣っていたとしても無事に走り続ける馬は名馬である、という考え方を示した格言です。

怪我こそあったものの、51年にわたり無事に走り切った谷口選手のオートレース人生は、まさに「無事これ名馬」でした。

特別なことではなく、やるべきことをやる

谷口選手はビッグタイトルの優勝には届きませんでしたが、それでもモチベーションを失うことなく走り切りました。

その理由は、「続けていれば必ずそのうち勝てる」というモットーがあったから。しかし、谷口選手は何も考えずに走り続けていたわけでは決してありません。

ビッグタイトルばかりを狙っていると、そのうち疲れてしまいます。

もちろん、諦めたわけではありません。谷口選手は若いころから、出場したレースのタイム・結果・天候・整備方法を記録して振り返る習慣をつけており、ウエイトトレーニングも欠かさず行っていたと語っています。それでも、「結果が出なくても、続けていれば必ず勝てる」という”軸”は変えませんでした。

結果が振るわない時期があっても決して「勝つ」ことを諦めなかった選手であることが、このエピソードから垣間見れます

結果が出ないことで諦めて引退してしまう選手もいる中で、こんなにも長くレーサーとして活躍してきたのは、常に”心のエンジン”を切らさない工夫をしていたからなのかもしれません。

まとめ

個性を出そうと違うことをしてみたり、聞きかじった練習法に浮気してみたりと、つらい時こそ”テクニック”に逃げがちです。

でも、谷口選手のレース人生を見ていると、何よりもまず基本をおろそかにしてはいけないという教訓を感じます。