オートレースの歴史
自転車競争の余興だった「オートバイレース」
日本の公営競技で、養成学校もあるオートレースですが、その歴史はいつからはじまっているが知っていますか?
オートレースという名前は、「オートバイレース」を略した和製英語です。
海外でのバイクを使ったレースは、舗装された道路では「ロードレース」、未舗装の道路では「オフロードレース」と呼ばれています。
一見似ているオートレースとロードレースですが、オートレースは競技場、ロードレースは一般道路という違いもあるんです。
日本のオートレースの歴史は1910年、不忍池の自転車競走の余興からはじまります。
その後も兵庫県の鳴尾競馬場、東京の目黒競馬場で正式に開催されていましたが、日中戦争の影響で、燃料を使うオートレースは全面禁止となってしまいました。
競輪に触発されて賭けがスタート
1948年に競輪がスタートすると、多くの人がレースと賭けを楽しみましたが、同時にオートレースでも賭けアリで観戦したい!という声が多く上がるようになったといいます。
オートバイの普及が進んでいて、1949年には「全日本モーターサイクル選手権」が多摩川スピードウェイで開催されたことも、一層オートレースへの期待が高められたのかもしれません。
この時、観客は3万人だったそうです。
そんな声を受けてか、「小型自転車競走」に関する様々な法整備がどんどん進み、2年後の1950年には千葉県の船橋オートレース場でオートレースが開催されました。
この時はなんと10万人に近い来場者が訪れています。
1950年の船橋オートレース場で行われた大きなオートレースの後は、翌年の1951年には兵庫県主催の園田オートレース場、大阪市が主催する長居オートレース場でもレースが開催されました。
1950年から1960年の10年間に、9つのオートレース場が開設されています。
その後、公営で最初のオートレースが行われた船橋オートレース場は長きにわたって運営されていましたが、2016年3月に閉鎖されました。
最も多い時期では、11のオートレース場が運営されていました。
2022年現在では、埼玉県の川口オートレース場や山口県の山陽オートレース場など、5つのオートレース場が運営されています。
オートレースの目的はオートバイの技術向上もある
オートレースが多くの人によって待望されたから、というのも理由の1つですが、公営のオートレースには国としての目的もあります。
公営ギャンブルのうち、競輪とオートレースは経済産業省の管轄です。
経済産業省は「産業の発展と福祉事業」を、これらのレース競技の目的としています。
オートレースの場合は「日本におけるオートバイの発展」が目的でもあるんですね。